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「不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏」
(ふりゅうもじ きょうげべつでん じきしにんしん けんしょうじょうぶつ) と読みます。
禅宗は拠依の経典を持ちません。釈尊の悟りの心を、さながらコップの水を他のコップに移し変えるように滴々伝えます。
その時、受けるコップは、不純物の無い磨ききったものでないと受け継いだものが汚れてしまいます。
禅の修業というのは、その、磨ききった心を見つけること、その時初めて釈尊の心と一体になれるのです。それを悟りと言います。
釈尊が明けの明星を見て悟りを開いたのは、釈尊の心が大地宇宙と同等に澄み切った境地を手に入れたということです。
「不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏」というのは、その事を端的に表現した言葉です。
 
  はじめに言(ことば)あり 1 
キリスト教では「はじめに言葉あり」といいます。
私の恩師紀野一義先生は「言葉は沈黙から出る」といいました。
人が人に恋を告白するとき、長い沈黙から、言葉がほとばしるように言葉が出るといいます。

人を立ち止まらせ、考えさせる言葉は、騒音から出て騒音に帰る言葉ではなく、沈黙から出て沈黙に帰る。
そう言う言葉でなくては真実の言葉と言えないでしょう。まして、人に働きかける力は持たないでしょう。

このページでは私が60年近く生きてきた中で、私をして立ち止まらせ、考えさせ、生きる力を与えてくれた言葉を思いつくままに書きたいと思います。
 
はじめに言(ことば)あり  2
新約聖書のヨハネの福音書の、一章一節「初めに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神であった」
とあります。
藤圭子さんの「新宿の女」は昭和44年のデビュー曲ですが、キャッチコピーとして、不幸を売り物にしていたと思います。
島倉千代子さんも同様ですが、「不幸」というものは言いつのり、売り物にしてはいけません。
娑婆世界という地獄に生まれた人間はすでにして不幸なのですから、不幸の中に幸せを見つけなければ生きてゆけない宿命を背負っています。
世の中には不幸とか、薄幸を武器にして他者の同情を買おうとする人もいますが、そこはそれ「言葉は神であった」で、人の運命まで左右するものです。
このごろの言葉の乱れ、汚さ、軽薄さは、若者ばかりではなく、中韓両国が他国をののしる時の品性の無さにまで及んでいます。
万葉集に「大和(やまと)の国は言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」といういい表現があります。
藤圭子さんの歌は好きですが、言霊というものは有るものだなと感じたので、冥福を祈りつつあえて書きました。
「寿ぎ/言祝ぎ」ことほぎ と読みますが、他者に対して力を与え、自らに運気を良くする言葉を使いたいものと思います。
 ああ、はれ 
世界の民族によって、喜怒哀楽を表す表現はさまざまですね。
「オオ!!マイ、ガット」
映画の中ばかりでなく、この前のアメリカの同時爆破テロの崩れるビルの映像には、必ずこう叫ぶアメリカ人の言葉が聞こえます。
「アイゴー、アイゴー」
朝鮮族はこう泣いて、身振り手振り激しく悲しみを他人に示して見せます。
「ああ、はれ」
日本人は他人の悲しみに接した時、息といっしょに言葉を飲み込みます。
ああ、はれ=あわれ」
私はなんと美しい表現だろうと思います。
他人の悲しみに対するうわべだけでない同情の深さが現れているではありませんか。
哀れは同情の悲しみになります。
他人と悲しみを同じくする、これを「同悲」といいます。

他人の悲しみを自分の悲しみにする。これは仏の心ですね。
 
日本人のうちにもの沈潜させる民族性が、日本の仏教を深いものにしたと私は思います。
「悲=ひ」梵語で「マイトリー」というそうですが、この響きもいいですね。
近頃、体当たり演技と称して未熟で若い芸能人が、泣いたり吼えたりして、うるさいばかりのドラマが増えました。
一昔前の女優で、じっと耐えた顔の頬に、無言のまま、たった一筋涙を伝わせた演技のほうが私には深い悲しみの表現に思います。
私が日本人だからか、それとも、感性が古ぼけてきたのか、どちらかでしょうか。
「美しい日本」「美しい日本人」を私はそこに見ます。
  
 いろはにほへと 
色は匂え匂えど・・・
昔、着物産業の斜陽化が見えてきたときに、私のいる十日町の着物産地では「流行色」として、各色に、少しばかりセンチメンタルな名前をつけて発表したことがありました。
少女趣味が勝ったような物であまり定着したとは思えません。

私がここに書こうとしていることはあくまでも個人的な感想ですからそのおつもりで聞いてください。

翠(緑)滴ると言いますが、秋の紅滴るとは言いません。紅はやはり映える。でしょうね。
青は冴えるでしょうか。黒はやはり沈むでしょう。

さて、私は若いときに、白色をみやび(雅)と感じました。
神聖な色として紳職が使用したりしますが、喪服の色としている地方もあります。
あらゆる色に染まることから花嫁衣裳に使います。

私はこのごろ、反対に、あらゆる色を跳ね返す拒絶の意味も感じるようになってきました。
黒色があらゆる色を吸収してしまうのと、正反対の意味です。
対極にあるものは似ている性質を保有するという私の思い込みからすると白と黒は物事の表裏でしかないようにも思います。

ここで、なにを言いたいかと言うと、私は神道的なものに白、仏教的なものに黒を当てはめ、二つのものが不即不離ではないかと、強引に思ったわけです。
上記はあくまでも個人的見解ですから、他人に賛成を求めるものではありません。
 
 あのこはだあれ、誰でしょね  
♪あのこはだあれ、だれでしょね、・・なんなんなつめの花の下・・・かわいいみよちゃんじゃないでしょか♪
という、細川 雄太郎さんの作詞した童謡がありました。
10歳の時お父さんを亡くし、小学校高等科を卒業と同時に群馬県の味噌醸造のお店に奉公にでた。夜、光りが洩れないように布団の中に裸電球を持ち込み、故郷を偲びつつ作詞をしたといいますが、今回はその話ではありません。

ネットの世界での匿名のお話です。
私はネットの世界を知る以前から匿名ということを極端に嫌ってきました。
どのようにすばらしい意見でも、発した人の人柄のわからない意見は80パーセントは破棄してもよいと思っています。
破棄してはならない残りの20パーセントは、権力によって、あるいはあおられた無知な大衆によって発言者に重大な危険が及ぶ場合です。
そして、発言者が女性の場合もある程度の匿名は許せると思っています。
私は、雅号を使って発言していますが、住所、電話番号、年齢を明かしていますから、これはすでに第2の本名と言ってもよいでしょう。

さて、掲示板に書き込みをする人、メールを下さる人で本名はおろか、どの地方に住む人かも明かさない人がいます。
1度ならともかく、5度も6度も、難しい質問を仕掛けてくる人に、私のできる最大のお返事をして、何ヶ月、何年になる人にもです。
そしてある日、ぷっつりと消息を絶つ人がいます。
これは、人間としてのと言うよりも、人とお付き合いをする上でのルール違反ではないでしょうか。
その人のために、見ず知らずの私が誠意を込めて回答した時間をなんと思っているのでしょう。
そう言う人が、匿名のハンドルネームもそのままに他のサイトに出入りし、相変わらず、私にした質問と同じ質問を重ねているのを目にして少し考えました。
この人は自分の人生も、他人の人生の時間も無駄にしているのだ、こう言う人には人生の深遠は決して分からないだろう、今度私のところに来たとしても、まっとうに対応しないだろうと・・・。
 
 位討ち(くらいうち) 
その昔、京都では地方から京都に来て権勢を振るうものに位打ちをしたと言います。
どんどんと、本人が予測もしないくらいの勢いで昇進させ、有頂天にさせて人格を壊し、自ら破滅させるという.権力を持っても力を持たない公家が考えた陰湿な罠です。

木曾義仲も、源義経も見事に位打ちに合いました。
それを知っていた源頼朝、織田信長や、徳川家康は京都に接近しすぎないようにしたことは賢明でしたが、織田信長は位打ちにあった光秀に殺害されたのですから、やはり京都公家の罠にあったのかもしれません。
この頃のマスコミを見ていると、実に位打ちに近いことをしています。
昨年の堀江社長に例を見るまでもなく、マスコミは特定の個人を天の高さまで持ち上げ、無残に打ち落とします。
思い出せば、オーム真理教の麻原が登場した最初のとき、空中浮揚できるなどと、いまどきの時代に噴飯物の鳴り物入りで持ち上げたのもマスコミでした。
数々の芸能人、今は盛りの人も、明日はマスコミによって地獄に突き落とされることがあります。
人はその絶頂のときに墓穴を掘るといいます。
自分の得意なことで破滅するといいます。
地道に生きることがいかに無事であり、大切なことかはこの事だけでも思えますね。
 
 普通の道徳  
ジャック・アナトール・フランソワ・チボーは、20世紀前半のフランスを代表する小説家・批評家です。芥川龍之介が傾倒していた人でした。
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正直とか、親切とか、友情とか、そんな普通の道徳を堅固に守る人こそ、真に偉大な人間というべきである。
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上記のアナトール・フランスの言葉以上の宗教というのは、私にはすべてむなしいものに思います。
それ以上の憲法も無いのではないでしょうか。
 殺すなかれ、奪うなかれ
わずかなことを守るだけで平和に過ごせた時代は人間にとって至上の世界だと思います。

中国の詩人で有名な白楽天が鳥巣仙人に問いました。
「仏教で一番大切なことは何ですか」
鳥巣
「善いことをしなされ、悪いことをしなさるな」
白楽天
「そんなことは3歳の子供でも知っている」
鳥巣
「3歳の子供でも知っているが、百歳の翁でも行いがたい」

これを一言でまとめて「諸悪莫作 衆善奉行」といいます。
 
 
楽しみは 
橘曙覧(たちばな あけみ)http://www.tokyo-np.co.jp/bungaku/text/32.html
という人の歌に
   たのしみは妻子むつまじくうち集(つど)い
          頭(かしら)ならべて物を食うとき
というのがあります。

いかに国家百年のことを大言壮語しても、釈迦の再来であるかのように他人に得々と説教をたれてふんぞり返っている人も、自分の家庭さえ顧みないのでは人といえません。
社会も、国家も、世界も、たとえ貧しい食事であろうと、一家そろって楽しい食事がすべての基本です。
極論すれば、家族と一緒に食事もしない、1皿のおかずを一家中で分け合ったことのない人は、友としてはならず、ましてや国の政治を任せてはならず、聖人君子の道を説かせてはならない。
 
 
 泣き言は言わない  
私の大好きな作家に山本周五郎氏がいます。
「泣き言は言わない」
というのは氏の小説の中の言葉を集めた本ですが、このタイトルなんとも言えぬ味わいがあります。
氏は長い下積みを経た小説家で、経済的に恵まれない時代が長い人でした。
そんな若いときに、どれほどか「賞」というものを欲したことでしょう。 しかし若いときには得ることができませんでした。
努力で、人に知られるようになって、さまざまな賞の候補になりました。
氏は、それらをことごとく断りました。いまさら何ぞ、という意地があったのでしょうね。 その、鬱屈した心はなぞりたいほど共感を呼びます。
不遇の時代が長かったのですから、金銭的に困ったことが多かったようです。 出版社から前借する名人だといわれました。
いろいろと出版社に泣き言を言ってお金を前借した経緯が本に乗っています。

時代は違いますが葛飾北斎が 「版元様、この寒さに老人がぬのこ1枚で震えています」
という泣き言を並べたお金を無心する手紙が残っています。
私は山本周五郎氏や、葛飾北斎ほどえらくはなれませんが、「泣き言」を言う才覚だけは負けません。
それでいて、山本周五郎氏のように、随筆を書くときには、やはり題名を「泣き言は言わない」とするでしょう。
 
 
 忘れえざる人
私が17歳の頃、誰かの本に「忘れ得ざる人」という題名がありました。
内容は
「深いかかわりを持った人たちよりも、ふと行きずりにあった人の方が忘れがたい」
と言うような事でした。
私はその頃、若さのせいもあって、その言い方に奇妙な反発を感じたものです。
ところがどうでしょう。星霜去りて幾十年。
私自身がその言葉を味わい深く思い出します。
もちろん、深くかかわり、恩を受けた人のことを忘れないのは勿論ですが、昔、駅のベンチに座っていた名も知らぬ人、歩きながら、ふっと顔が合ったそれだけの人、ただそれだけのあの人この人が何かの拍子に脳裏をよぎります。

血気にはやって老人の感慨を笑うものではありませんね。
自分がそうなって行くことを若い頃は考えても見ませんでした。
 
 花は人に見られることによって救われる 
キリスト教の聖者アウグスティヌスは
「花は人に見られることによって救われる」
といったと昔何かの本で読みました。

私はそのときに、見られようが見られまいが、花は咲き、自足しているのではないかと思ったものです。
人は悲しいとき、切ないとき、絶望の淵に立ったときに、人に見られていることが救いになります。
また、そういう人が身近にいたら、、声をかけ、助けてあげられなくても、その人の事を見ている自分でありたいと思います。
以上は他人に対してのことです。

私は私に対しては、孤独に、耐える強さを持ちたいと思います。
花が、たとえ見てくれる人がなくても、精一杯に咲くようにです。
一人で咲き、一人で散っても、自然の営み、つまり、法にのっとっている限り、法という仏の中で仏に見られていることを知っているからです。
 
 
 私の宗教のこと 

たまには私の宗教のことを書きましょうか。 
私の祖父は熱心な八海山山伏の先達で、山伏の格好をしてよく参拝したと言います。 八海山と言うのは標高1773メートル、険しい山にある神仏習合の越後三山の一つです。 
そんなわけで、家中の柱と言う柱、天井、果てはトイレの四隅の柱と天井にまで呪文を書いたお札を貼ってありました。 
祖母は連れ合いがそうですから、村の念仏講の熱心な主催者で、早朝、私の枕もとの仏壇で2~3のお経を唱えるのが私の目覚まし時計の代わりでした。

私の家は代代の曹洞宗ですが、昔の田舎のこと、真言、天台の僧侶が、四季のお払いの儀式に出入りしていました。 
そのように熱心な宗教者であった結果、私の家では男が家で亡くならないで、外出先、あるいは旅行中、不慮の事故や病気で突然死することが続きました。 
私の代に至る3代の間に歴代当主3人が、家で亡くなった男が1人もいないと言うのはどう言うことでしょうか。
私のすぐ上の兄、吹き付け業でしたが、足場から転落して37歳で亡くなりました。
すでに別の家庭を持っていましたが、私の家にまつわる変な伝統とも言えるかもしれません。信仰の深さと運不運はイコールでないと思ったのはこう言う経緯からです。 
私が仏教を再認識するまで、強烈な宗教に対する違和感、不信感を持っていたのはこうした事の裏返しだったと思います。 
呪文、お札、祈祷、お払い、本来の禅宗はそう言うことをしないことに私は私の合理主義を納得させたのでした。

私は22歳で家を継ぎましたが、その若さでお金があるわけがありません。 安給料の機屋勤めは、125坪の土地を買うだけで精一杯でした。 
父が亡くなる寸前、地元の良材を使って建てた家が古くはなりましたが、しっかりしています。 むやみに広い家でしたので、半分だけ、解体して移築しましたが、解体した柱の1本1本の裏表に、さまざまなお札が丁寧に貼ってありました。
移築するにあたっての最初の仕事は、その柱を洗い清め、お札はがしから始まりました。 これが私の、迷信にまみれた儀式信仰とのお別れでした。

お釈迦様が亡くなるとき、下痢を重ね、おなかが痛いおなかが痛いと言いながら、阿難尊者に下の世話をされながら亡くなったのです。 
お釈迦様が自分のために祈祷や、呪いをしなかったと言うのが、私が仏教を見直し、近づいた最大の理由です。 
キリストのように、「神よ神、なんぞ我を見捨てたまいし」などと、恨み言を言わない自然のままに亡くなったお釈迦様こそと思います。
私は禅宗のものです。 
その受戒の時、師の坊に、得度しても座禅はしません。朝晩のお勤めはしませんと言いました。 
仏画を描く者が、描く以上の座禅や、お経を唱えることがあるでしょうか。 
ことさらに宗教を名乗らなくても、一心にお百姓さんが田植えをし、草をむしることが宗教だと私は思います。 それらしいしぐさが宗教ではないことを私が言いつづける理由もここにあります。 
生きる、理屈も何もいらない、生まれて来たら、自分のなすことを成し尽くしてひたすらに生きる、そして、死ぬときが来たら死ぬ。 
それが私の宗教です。 
学者は宗教らしい言葉の1つ1つを解説し、より多く知る事がさも宗教者の資質のように思い、知識を増やすことが勉強であるように錯覚しています。 
私はいつも言います。プラス思考から信仰は生まれない。一遍上人の言う、「捨ててこそ」のマイナス思考にこそ信仰があるのです。 
法然上人の「一文不知の法然坊」の言葉にこそ、叡山で知恵第一の法然坊と言われた、勉強が信仰でないことを知った真実の悟りがあると思います。 
いつも言うことですが、宗教は、それらしいしぐさや、理屈や、知識や呪文や、お払いや、祈祷や勉強ではありません。 
ただ、ひたすらに今を生きる、それしかないのです。
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昔、加持祈祷は真言、天台、日蓮宗の専売でした。他の宗派の僧がしても効験がないとされたものです。

お葬式は、京都化野(あだしの)の念仏寺に見られるように、浄土宗、時宗、浄土真宗の等、念仏系の仕事でした。
浄土真宗は親鸞上人が自ら言うように、お坊さんではありません。本当は半僧、半俗ですから、戒律に厳しい昔の時代でも肉食妻帯を認められていたのです。

釈迦の時代から、お葬式は在家のする事で、お坊さんは感知しないのが正式だったのです。
世は下り、あらゆる宗派の垣根が低くなった結果。大きな数珠を振り回して悪魔払いをするような臨済宗の織田某という坊主まで現れるようになりました。
末世と言うしかありませんね。

禅宗、これは仏心宗という通り、仏の悟りの心を水を盛った器から器に移すように、釈迦の悟りの心をそのまま連綿と今に伝えることだけに専念してきました。
それゆえに、古代インドのバラモン教や拝火教の儀式を多く持ち込んだ密教とは截然と違うものです。
誤解を恐れずに言うならば、私は、密教は釈迦本来の仏教ではないと思います。
あくまでも釈迦本来の仏教は「顕教」だということです。

これらをすべて雑ぜ合わせてしまった徳川幕府の宗教政策の罪は深いことになります。

 巡礼
ある掲示板で、西国巡礼を何度もしている人が、巡礼で得たものと称してとくとくと語っているのを見て、「?」を感じざるを得ませんでした。
私は、「巡礼」というものは、「自分の自我を捨てる」ものであって、1度で済ませるのが、理想であると思っていました。

1度で自我を捨てきれない自分を恥じるべきであって、何度も重ねることを誇ることでしょうか。
まして、訪ねる先々で、仏様からなにかを頂くと期待するなどという己の強欲さは、唾棄すべき恥ずべき事ではないかと思います。

種田山頭火という自由律の俳人がいます。
一生を乞食(こつじき)に終わった人ですが、山頭火は乞食をし、漂泊することを誇ってはいません。
若くして自殺をしてしまった母の位牌を抱き、さすらい、浮世を漂う己の業の深さ、淋しさを酒に紛らせ、俳句に紛らせた一生でした。
山頭火を気取る人は、山頭火のせつなさ、悲しみに思いをはせなければなりません。

自動車で身を楽にして巡回し、ほとけ様からなにかを頂く事を期待し、それを他に誇る、自我と同行二人で、観光旅行をすることは巡礼とは言えません。
いま、与えられた人生をひたすらに、只ひたすらに生ききる以上の「巡礼」はないのです。
 
 独座大雄峯 
中国唐代に百丈壊海(ひゃくじょうえかい)と言う禅師が居ました。
百丈山に寺があったので百丈壊海といいます。
ある時僧が問いました。
「いかなるかこれ、奇特の事」(ありがたいという事はどういうことですか)

百丈
「独座大雄峯」(俺が一人、この百丈山に座っている事ほどありがたい事はない。
質問した僧はすっと立って礼拝しました。
その時です。間髪を居れずに百丈禅師はこの僧を打ちました。
「百丈、すなわち打つ」です。
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自分がここに居る。
考えてみれば、これほど不思議でありがたい事はないでしょう。
遠い先祖から、生まれ変わり死に変わりここに存在している。そして、仏と対座し、一体となっている。

百丈のこの言葉に対して、
「へえーあきれた自信ですなぁ」と茶化した僧の一礼を百丈禅師は見逃すはずがありません。
「すなわち打つ」です。
私も皆さんも、自分が居る所を百丈山と心得て、どっしりと座って揺るがない自分を確立したいものです。
 
 
観音 
観音様は6観音、33体観音などといいますが、それは数ではなく「いっぱい」という意味に受け取ってください。
観音様は音を観る菩薩様と書きます。大勢の人の数限りない音、(助けてくださいと言う願い)を観る(聞いて)その人に合った形を取って助けにきてくださいます。
ですから、本来、観音様と言うのは形が無いと言えます。
たとえば、仕事に行こうとしたとき、飼っている愛犬のの調子が悪いので、お仕事はお休みしたとします。
そのとき、本当なら当然お仕事に向かう場所で、大きな交通事故が会ったと仮定しましょう。
そのとき、その愛犬があなたにとっての観音様ということになります。
同じことが、石につまずいて、生爪をはがしたために、たまたま事故に合う時間がずれたとしても、その石が、あなたにとって観音様です。

このように、観音様と言うのは、固定した形ではなく、ああ、と言う感謝の気持ちで手を合わせて謙虚に物事を受け止めてみることの出来る自分の「こころ」と言うことです。
総合して言いますと、観音様と言うのはこのようにして、その人が心を深める働きをすることを促す「ちから」とも言えるでしょう。
その力が、受け止める人の感性によって無数にあることを象徴して、6観音とか、33体観音と言います。

ただ、人が手を合わせやすいように、これが観音様のお姿ですよ。と、お釈迦様が出家する前の姿を像にし、絵にしただけに過ぎません。

ですから、絵仏師の私がこんなことを言うのはおかしいことですが、仏画や、仏像に惑わされてそれに手を合わせるというのは変なことになります。
自分で、自分に手を合わせられる自分を見つけること。信仰と言うのはそう言うことですし、それ以外ではありません。
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私がいつも言うことですが、手を合わせている仏様の像がありますね。
それは手を合わせる、あなたに手を合わせているのです。
お仏壇に手を合わせようと思って、お仏壇の扉を空けます。そのとき、すでにその人はお仏壇に手を合わせているのです。後の行為は付け足しでしかありません。
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以下は追記です。
「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入りす。いまだ証拠せざらん者は看よ看よ」
(肉体の中に偉くも、卑しくも無い本当の存在があり、いつも肉体から出入りしている。間だ看たことの無いものは良く看よ)

と言う禅宗の言葉があります。
この、無位の真人が、あらゆる知識や何かの以前にある、仏と言うことです。「父母未生以前の本来面目」=(父母が生まれる前からの本来の自分)と言う禅宗の言葉もこれにあたります。
自分の中に有るこれ「仏」に気がつき、一体となることを悟りと言います。釈迦が悟ったのは、この自分の中にあり、自分の外、宇宙いっぱいにまで遍満している、自己も他己もない世界を見、同一化したということです。
そして釈迦に、あるいは我々にそれを気づかせるその働きこそ観世音と言えるでしょう。
 
 天人、天部 
「天人」という言葉を聞いたことのない人などいないと思いますが「天人とは?」と問われてもきちんと説明できるでしょうか。
天人とは仏教で説く六道世界のうちの天上界に住む者をさします。
六道世界は迷界ですが、天上界は最上界ですので、さすがに苦は少なく楽は多く、自由に天を飛びまわれます。
また人間界と違って大変な長寿を保ちます。いわゆる神様はこの所に住んでいますので、天人と神様は同じ者の異名だと言えましょう。
ところで大変な長寿を保つというこの天上界でも「生ある者は必ず滅す」の理に従い、やはり死ぬ時を迎えなければなりません。
その時には、天人五衰と言って、五つの徴候があらわれます。
 
経典によって多少の違いはありますが、大槃涅槃経によれば、
  1・衣裳垢膩(衣服が垢で油染みる)
  2・頭上華萎(頭上の華鬘が萎える)
  3・身体臭穢(体が薄汚れて臭くなる)
  4・脇下汗出(脇の下から汗が流れ出る)
  5・下楽本座(自分の席に戻るのを嫌がる)
の五つを教えております。
 
 
私達人間は「死んだら天国へ行く」と言い、又そう願ってますが、死ぬという点では天上界も人間界とそう変わりません。
天上界の更にその上、仏界に達しなければ生老病死から逃れることは出来ないでしょう。
仏様は人間界と天上界の者達の師ですから、天上師とお呼びし人天(人間+天人)に福報を授けてくださる類無きものとして尊んでいるというわけですが、私達は是非、仏界へ行く事に致しましょう。
人間界からしか仏界へ行けません。天上界から仏界へ通ずる道はありません。天上界の者は、見という煩悩に犯されて更にその上へ行くことを望まないからだそうです。

私達は、貧瞋痴慢疑見の六煩悩すべてを払って、速やかに仏身を成就したいものですね。
 劫について 
仏教が説く時間のうちで最も長いのが「劫」であり、最も短いのが「刹那」である。

最長の時間の単位である「劫」はどれほど長い時間かというと、実は永遠と言ってよい程であり、我々の経験的な時間の数では到底、言い表わすことはできない。
そのようなとき仏教では比喩を用います。
仏典では、四十里四方の大石を、いわゆる天人の羽衣で百年に一度払い、その大きな石が摩滅して無くなってもなお「一劫」の時間は終わらないと譬えています。

また、方四十里の城に小さな芥子粒を満たして百年に一度、一粒ずつ取り去り、その芥子がすべて無くなってもなお尽きないほどの長い時間が一劫であるといいます。
この比喩を「磐石劫」「芥子劫」といい、『雑阿含経』や『大智度論』など多くの経論に説かれています。
さらに「劫」の永さを強調し、終わりのないくらいの長い歳月を「永劫」という。『無量 寿経』に「兆載永劫」とあるように、これも仏教語である。ここから「未来永劫」とか「永劫回帰」などの言葉が生まれました。

ところが、私たちは「劫初已来」「未来永劫」などと聞けば気後れしてしまいます。
このような心持ちのことを「億劫=おっくう」といいます。
長い時間の努力を億劫がり、煩悩のままに生きる私たち凡夫にとっての救いは、常に仏の大悲に照らされていると気づかされ、感謝の生活を送ること以外にはないということです。
 
インドラ網 
インドラというのは仏教の守護神「帝釈天」の宮殿にかかる網のことを言います。
網の結び目一つひとつに宝珠がついていて、その一つひとつが他の宝珠を映し出すという、さながら万華鏡のようなものです。
要するに、一つが一切を反映し、一切がひとつの物に集約する生命観をいいます。
使い古されて安い言葉になたので使いたくないのですが、「一人は世界のために、世界は一人のために」と言うことです。
私はこの「ために」と言う言葉に引っかかります。
そんな義務感ではなく、普通に行っていることが、そのまま他人のためになれば良いのではないでしょうか。
 
宿木(やどりぎ)
人は仏の命から生まれ、仏の命の中に生き、仏の命に還って行く、この世の宿木のようなものかもしれません。
組織を宿木とするも、家族を宿木とするも、その組織、家族自体が仏の命に包まれていることに間違いありません。
時に思います。
人の人生は地獄の上に張り渡した1本の綱の上を渡る綱渡り、一瞬の油断で墜ちるものだと。
また思います。
墜ちたところで、そこは地獄でなく、周到に広げられた仏の掌の中かもと。
地獄であれ、仏の掌の中であれ、それならいっそ、いろいろ思い煩うことなく、
一気に仏と一体とまで思い定めてしまえば、細かい悩み事など宙天のかなたに飛んでしまうのではないでしょうか。
一粒の麦もし地に落ちて死なずば
『ヨハネ伝』の第12章24節のキリストの言葉に、
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
とあります。
意味は「他人のため、後に続くもののために自己を犠牲にすることは尊い」ということなのでしょう。
いかにもキリスト教的な考えですね。
私は否定しませんが、かっての大戦で似たような思想教育で多くの若者が特攻隊で散華したことを思います。
美しい言葉の持つ危険性、考えを他人に預ける怖さです。
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私が言いたい事は、どんな立派な言葉を聴いても、それを吟味商量する自分を創っておくべきだと言うことです。
そして、綺麗ごとを言う者には、一応の注意を払わなければならないと言うことです。
 
 
白鳥芦花に入る・白馬蘆花に入る
私は子供の頃、いわゆる「叱られっ子」で、一つひとつの行動で何をしても叱られる存在でした。
そのため、小学校高学年頃、似たような境遇の子供を書いた下村湖人氏の「次郎物語」に激しく共感したものです。
その中で、次郎の理解者、朝倉先生の奥さんの言葉として、「 白鳥蘆花に入る」という言葉がありました。
後になって、禅宗の問答集『碧巌録』中の「 白馬芦花に入る」を下村湖人氏が変えたものであると知りました。
「白馬芦花に入る」と「白鳥蘆花に入る」でも意味する所は同じです。
白い馬(白鳥)が白い蘆の花に入れば、その存在は分かりにくくなります。
ひとつの事に集中し、その世界に浸りきる時、自他の別はなくなってその世界だけになります。
自他の分け隔てがなくなった世界、浄らかさも穢れも無くなった世界、それを仏教では【浄土】といいます。
SF作家の半村良氏は「祓いに祓いぬかれた世界は岩石だけの月の様な光景になる」と喝破しました。
私の「浄土感」「極楽感」と言うのはそのようなものです。
下村湖人氏の「次郎物語」は今でも時々読み返す愛読書のひとつです。
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写真は、白鳥では有りませんが鷺と蘆です。
 
驀直去(まくじきこ) 

ずいぶん難しい漢字を出したと思われるかもしれません。
執権北条時宗の請を入れて宋から来日し、建長寺・円覚寺を創して開山となった無学祖元(むがくそげん)仏光国師・円満常照国師の言葉です。

驀直去(まくじきこ) とは、まっしぐらに、ただ一直線に突き抜けろという意味です。
北条時宗わずか17歳の時、蒙古から使者が来て属国になれと迫りました。
対応に苦慮した時宗は祖元禅師に善後策の相談というより、救いを求めました。
その時の祖元禅師の言葉が「驀直去」です。
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人はその人生において、右せんか左せんかの大きな決断を迫られ、迷い、恐れ、逡巡することがあります。
どのように迷い、回り道の時間稼ぎをしても、解決の足しにならないどころか、逆に萎縮し、疲弊し死に到ることさえあります。
そんな時「大死一番」と覚悟を決め、真っ直ぐに突き抜けることで明るい展望が開けるのです。
剣の極意に、
 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ たんだ踏み込め 神妙の剣(柳生石舟斎)
 打ち合わす 剣の下に迷ひなく 身を捨ててこそ 生きる道あれ(山岡鉄舟)
と言うのも同じことです。

 
 有漏路・無漏路(うろじ・むろじ)
「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ風吹かば吹け」一休禅師の名前のゆらいです。
有漏路とは煩悩に穢れた迷いの世界、無漏路とは煩悩の無い清浄な悟りの境地のことを言います。
自分が悟ったといって「無漏路」の世界に浸利斬る坊主は、悟りどころか偽坊主と言うべき愚かな怠け者でしかありません。
本当に悟りを開いたなら、自在に有漏路と無漏路を行き来して一般人の道案内をするべきでしょう。

「一休み」と言う言葉の含蓄はそこにあります。
武蔵と道 
「宮本武蔵」の映画を見ていて以下のことを思い出しました。
私が昭和45年7月3日、東京谷中の全生庵で、仏教の師 紀野一義氏に仏門に入ろうかと相談した時、
「絵を描くのが仕事なら、絵の中に仏教がある」
と言われたことを思い出しました。
人は『道』というと、特別なことと思いがちですが、今、自分が歩いているところ意外に道は無いのです。
食べる。話す。笑う。寝る。日常の常住坐臥がすべて道なので、そこ以外に修行はありません。
あえて寺にこもり、座禅などと 行い澄まさ無くても、虚心に耳を片傾ける時、夏の夜の虫の音のように、涌くが如き仏の声に取り囲まれていることに気が付きます。
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吉川英治氏は参禅の経験も深い作家ですが、武蔵に、「たのむはこの一腰・・」と言わせたのは、少しどうかなと思いました。
頼むのは私の場合の筆、武蔵の場合の剣ではありません。
真理、あるいは言葉を変えて、ほとけの大道を歩くと言う己の意思を頼みとしなければなりません。
武蔵のその言葉には物質を頼む弱さがあります。
あるいは、吉川英治氏のことですから、まだ、青雲に踏み出す武蔵の若さを表現したかったのかもしれませんが。
四箇格言 
四箇格言(しかかくげん)は、日蓮宗の宗祖日蓮が他の仏教宗派を批判した言葉です。
所謂、真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむけん)、律国賊(りつこくぞく)の四つです。
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「真言亡国」
真言宗では、法華経などの経典は応身の釈迦が説法した物で、大日経は法身の大日如来が説法した物であるとし「大日如来に比べれば釈迦は無明の辺域であり、草履取りにも及ばない」と説く真言宗は亡国の教えである。
「禅天魔」
禅宗は、釈迦が華を拈り、大衆の中で大迦葉だけがその意味を悟って破顔微笑した。これを拈華微笑、以心伝心、見性成仏といい、それを以って仏法の未来への附属を大迦葉に与えたとしている。
しかし不立文字・教外別伝等と説き、経文を否定しているのは凡夫である自己を過信した仏法を破壊するわざであり。涅槃経では「仏の所説に順ぜざる者あれば、当に知るべし、これ魔の眷属なり」と説いている。
「念仏無間」
阿弥陀如来の因位である法蔵菩薩が立願した48願のうち、第十八願の「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆誹謗正法」の誓文に背き、『法華経』を誹謗している、この事は『法華経』「譬喩品」に「この経を毀謗する者は阿鼻獄(無間地獄)に入ると説かれている通りであるから、念仏は無間地獄への法である。
「律国賊」
律宗の教えは、小乗教の250戒などの戒律を根本の教義としている。日本では像法時代の中頃に、衆生の機根を調理する為に広まった物で、個人主義的色彩が強くこれらの戒律は末法の衆生の機根には合わない物であり、現実から遠離した世間を誑惑させる教えである。この様な戒律を説いて清浄を装う律僧は人を惑わし、国を亡ぼす国賊である。
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日蓮の他宗誹謗、我田引水きわまれりという教えです。
人は自己を優位に導きたい時に、他を誹謗中傷したがるもので、静かな水面に石を投げ込むような、無用な争いを起こします。
我が宗教、我が考えに基づく自我の発露は、キリスト教とイスラム教で争う中東の千年戦争を見れば、いかに無用有害なな挑発かは火を見るよりも明らかです。
仏教の忍辱(にんにく)寛容の原点を思い起こさなければなりません。
おなじ日蓮宗でも「世界宗教者会議」を主催した立正佼成会の庭野日敬師を見習うべきと思います。
私が日蓮宗・法華宗の大本山二つが隣り合わせている裏山に登り、朝日を拝む日蓮の後ろから、いつも語りかけている言葉です。
「日蓮よ、肩肘を張らないで虚心になりなさいお日様は彼我、善悪あまねく照らす広大無辺であることを学ばなければいけない」と。
南泉斬猫(なんせんざんびょう) 

禅の公案「問題集」に「南泉斬描-なんせんざんびょう」と言うのがあります。
公案の中では超がつくほど難解な問いです。
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ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。おそらく猫に仏性があるのか、ないのかの言い争いだったと思います。
南泉普願(なんせんふがん)禅師は猫を提示して言った。「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう」
誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。

南泉は夕方、外出先から帰ってきた弟子の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)に猫を斬った一件を話した。

それをきいた趙州は履( くつ )を脱ぎ、それを自分の頭の上に載せて出て行った。
南泉は言った。「もしあの時、趙州おったならば、猫は救えていただろう」
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以前、早朝、泰雅が起きがけに私に坊主の癖に猫を殺すなんてなんて事をするのだと「南泉斬描」の話を持ち出しました。
禅宗の場合、修行者に悟りを促すために時として難しい話を作り上げます。
この場合実際に南泉和尚が猫を斬り殺したわけではありますまい。
問題はこの話をどう解くかです。
世の中の問題とか迷いとかは、すでにその問題の中、迷いの中に答えがあるものです。
この場合、
「趙州は履( くつ )を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った」
が答えで、それがすべてです。
猫に仏性が有るか無いか、それは頭で考える空論でしか有りません。
禅というのは、そのような空論を弄ぶものでなく、趙州のようにそのような空論に加わらないというのが答えです。
私なら、この公案を出されたら、「フン」と無視するでしょう。
泰雅は公案の内容にこだわって、見事に公案の仕掛けた「南泉斬猫」の話の罠にはまったのです。

ただし間違ってならないのは、これは私の答えであって、万人の答えではありません。
公案というのは、一人ひとりがその人の生き方から導き出された究極の答えでなければなりません。
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仏教は頭で考えるものでなく、実践に生かし、その中で学ぶもので無ければなりません。

 

「なに!!猫に仏性があるかないかだって、つまらないことを言ってんじゃないよ」
仏は空気と同じ様なもんだから、空気を吸っていればそれが仏性じゃないか」
「そうだよな、改めて議論するなんて、人間て馬鹿じゃなかろか」
「そうそう、それを空論と言うんだよ、こちとら、生まれてきたから生き抜いているだけだよ」 
莫妄想(ばくもうぞう) 
中国唐代の禅僧、無業(むがい)禅師は、何を問われても、【莫妄想】と、ただ一言のみを答えたと言います。
生死、是非、善悪、勝敗などにこだわることなく、全身全霊を挙して一心不乱にやり貫けというのです。
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江戸時代、広島尾道の済法寺に、腕力絶倫のため拳骨和尚と呼ばれた物外もつがい和尚という僧がいました。
あるとき、藩主の臨終の席に呼ばれ。藩主から辞世の一句をしたためた短冊を見せられました。
そこには、
  花は根に帰ると聞けば我もまた 生まれぬさきの里に帰らん
花は散っても根に帰るといわれる。私もいよいよ死が近づいてきたようです。死んだら、和尚が言っていた生まれぬさきの里、本来の父母未生(みしょう)以前のところに帰って行きます、とありました。 
物外和尚、感心するとおもいきゃ、いきなり短冊を放り出して大声で叱咤しました。
「莫妄想-この期に及んで何を妄想をしているのだ!!さっさと死んでしまえ」
藩主はこれを聞いてニッコリ笑って頷き、静かに息絶えたといわれます。
物外和尚は藩主に「死ぬときは“死ぬだけ、余計なことは考えるな」と教えたのです。
ひとつの事に取り組んだら、余計な事は考えずまっしぐらに突入する心、それは仏の境地です。

私は若い頃、自分が納得しないと誰にでも食い下がり、質問の追及をやめない実に嫌な性格の男でした。
今なら、その過去の自分に「莫妄想」と一喝したいですね。
 
乾尿橛(かんしけつ)
乾屎橛とは「糞掻き箆」の事です。紙が貴重な時代にお尻を拭く棒状の「へら」の事を言います。
禅問答に、ある僧侶が雲門文偃禅師に尋ねました。
 僧侶「仏というのは、どんなものですか?」
 雲門「糞掻き箆!」
私達は「仏様」と聞くと、金ぴかに輝いたものを想像します。
しかし雲門禅師は、仏様とはキラキラと輝いているような素晴らしいものではなく、綺麗とか汚いとか、そういう規定概念を越えて毎日繰り返される営みの中にあり、仏は尊いもの。糞掻き箆は尊くないものとする、その常識を打ち破ったのです。つまり、尊いとか貧しいとか綺麗だとか醜いとか、その判断は人それぞれであって、この世に絶対的なものなど一つも存在しないと言う意味が、「仏と言うのは何ですか」「乾屎橛」の一言で雲門禅師は表現したのです。
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この話の前談として、「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等面門より出入す。いまだ証拠せざらん者は看よ看よ 」という臨済義玄禅師が言った時、ある僧が「無位の真人と非無位の真人とどう違うのか」と聞き、「この乾尿橛」と罵倒とともに殴られた話があります。
非無位と無位と、常識的な対立概念を持ち出せば殴られるのは当然でしょう。
佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し 

「驀然(まくねん)として打發(だはつ)せば、天を驚かし地を動じて、關將軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭(しょうじがんとう)に於て大自在を得、六道四生(ろくどうししょう)の中に向って、遊戲三昧(ゆげざんまい)ならん。」・・・『無門関』

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「師について修行をし、仏陀の真理を学んだなら、いつまでも、学んだことに執着しないで捨ててしまえ」という意味です。
いつまでも教祖や経典をありがたがっているようでは悟りは得られず、たとえ悟ったと思っても、その悟りは本物ではありません。
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禅宗の考え方のこの勇ましさと、融通無碍なところが私が禅宗を選んだ最大の理由かもしれません。
他のどの宗教、どの宗派でも、カランとした大空に風が吹くような、こうした爽快感はありません。
大愚良寛和尚は言ったものです。「天上大風」と・・。
 
 
生き方死に方 
お釈迦様の旧暦「涅槃会」ですが、70年間近く生きてきて、さまざまな人の死を観てきました。
多くの場合、従容として、あるいは未練がましく、その人の生き方が死に方になっているようです。
まさに、生き方は死に方ですね。
人は花。花は散り際。
 
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