|
|
|
わが青春のメモリー |
06/12/24設置 |
|
|
|
| はじめに |
この集は、昭和38年から46年までの8年間に歌った多くの詩の中から自選したものである。 今こうして,40年も前の詩を見れば,我ながら稚拙で,かつまた、いまどき流行らない抒情詩であることは否めないけれど,ただひたすらに、愚直に自分を見つめつづけた日々が偲ばれるのである。 まとめるにあたって読み返したとき,今の私を作るのに4人の人々が深くかかわっていたことを深く認識したのであった。 初めの1人祖母のことは、別ページ「おもひで」を参照いただきたい。 2人目の「・・・しずえ」さん、3人目の「咲子」さん、それぞれ青春の日の光と影という、jまったく違った立場で忘れ得ぬ人となった。 そして、真如会主幹の紀野一義先生、私は先生によって真の仏教に目覚めさせていただいた。先生に学んだ仏教の大本は、いたずらに邪見のともがらに組することない、真実を見つめる目を養わせてくれたのである。 まことに、人は人とかかわって人になる。その中で人の心を傷つけ傷つけられ,馬鹿な半生を生きてきた。しかしどのようなことにも決して逃げることをせず,まともに正面から対峙してきたことだけは私の誇りである。 昭和46年9月1日、十日町に来市されて「凛々たる人生」と題して講演された紀野先生は,
「今まで生きてきて,恥をかいた事がないという人は,どこかでごまかして生きてきた人です、恥をかくべきとき恥をかける人,その人はそのことによってさらに力強く,凛凛たる人生を生きることができるのです」
と言われたが、すべて過ぎ去った今となってみると,然り,然り,と思うのである。 このページは、いわば私の恥部を余すところなくさらけ出したもので,およそ恥知らずな,ごく個人的なページである。あえてここに公開するのは,たとえどうしようもない人間でも,心のありようひとつで,少しはましになれるという例として,今生きて悩んでいる人に、他山の石としていただけたなら,私の半生も無駄でなかったと私自身が自己満足したいためである。 | |
私が,その当時、理容店のインターンであった「・・・しずえ」さんに初めて逢ったのは、昭和38年4月中旬の夜であった。 薄暗い古い店の灯火の影にその人はいた。一心に先輩のの手元を見つめる小柄な美少女は、男ばかりの5人兄弟で育った私には,ただに女性が珍しかったばかりでなく、新鮮な白水仙を見るような夢幻の世界に私を誘ったのである。 白衣は女性を美しく見せると言う。創業が明治と言う古い店で,照明の光量が足りない中での白衣は,より印象を深くしたのかもしれない。 私はこの年中学校を卒業し,しずえちゃんの店から,道路を隔てて3軒隣の時計店に就職したばかりであった。今思い返して、「ああ・・たった3軒しか離れていなかったのか」と、改めて驚いている。そしてこのときが,距離的に1番近くにいたことになり,後はただ遠のくだけの関係となった。じつは、その理容店は,戦前、海軍に応召するまで,私の叔父が勤めていたという僅かな縁があった。(其の叔父は終戦間際に戦死した。) そのときはまだそのひとの名前も知らぬまま,朝夕の通り掛かりの挨拶だけで満足し,同年12月、画家になりたい希望もだしがたく、しずえちゃんへの未練を断ち切って上京したのであるが、なまじ離れたことによって,少女は私の中で,理想の女性として昇華し、逢えない事によってますますそれが助長して、やがて生身の存在でなくなったのである。 歴史でも、小さな個人史でも、「もし、」ということは愚にもつかない設定であるが、もし私が時計店にそのまま勤め、しずえちゃんの近くにいたとしたなら、しずえちゃんは私の中でそれほど美化も偶像化もしないで、私の恋も、ごくありふれた失恋物語で終わったに違いない。
いまどきの人から見れば,「何をしているのか」と思われるかもしれないが、私がはじめて少女の名前が,「しずえ」ちゃんと知ったのは,東京からお盆で帰省したとき,時計店の先輩からであった。初めて出会ってから,実に1年4ヶ月たっていた。そしてそのとき、すでにしずえちゃんはその理容院に3月からいないことを知ったのである。しかし、しずえちゃんへの恋心を知られたくない私は、「何処に行ったのか」とその先輩に訊ねる事ができなかった。ただ、僅かにしずえちゃんの出身地が、西蒲原郡吉田町ということだけ、さりげなく聞くことができ、そのときはそれだけで満足したのであった。
さて、話を元に戻すと上京した私は、次兄のいたガラス工芸の会社に勤めながら、某美人画系の日本画家の、浜町塾に通い始めた。そして9月、激しい地震に、会社の製品の食器が崩れ落ち、つけたテレビには、新潟が激しく揺れる映像と崩壊した昭和大橋が映っていた。アナウンサーは「新潟は全滅です。新潟は全滅です」と叫んでいる。そう、新潟地震である。 私はお盆の帰省から再上京した後、先輩から聞いた新潟県西蒲原郡吉田町なる場所を地図によって確かめていた。新潟市の南、40キロほどのところであった。そこに帰って、新潟市の理容学校に通っているというしずえちゃんの身を案じたけれど、ただ無力に案じるしかない私であった。
世はまさにオリンピックの前景気で,第1回の浮世絵ブームが始まっており、そうした展覧会場で親しくなった浮世絵を販売する店の店主がいた。私はその店主から浮世絵は「絵師」「彫り師」「刷り師」の共同芸術であることや、今はその技術者の後継者不足で,絶滅に瀕している事など,様々なことを教えてもらった。 その店主と親しくなるにつれ,私は初期の,画家になると言う初心をいつしか忘れてしまって、「滅びるものを守りたい。」などと、若い者にありがちな悲壮感と青年客気は落とし穴のように私を捕らえた。 この,初心を忘れて軌道変更したことが,後になって,一筋に理容師の道を行く しずえちゃん の前で,私をたじろがせ,萎縮させてしまう一番の原因となった。 そして,(浮世絵刷り師)の道に進もうと望む私と,反対する次兄との確執が始まった。浮世絵刷り師など,将来性のまったく無い仕事だと,次兄は親身に忠告してくれたが,「こう」と思ってしまった片意地な私には通用しなかった。
東京オリンビックの始まった10月10日、私は虫垂炎を町医者の「胃カタル」という誤診によって,危うく手遅れになる寸前で入院した。麻酔の充分に効かないうちの手術は、言葉に表せないつらいものであった。 そのせいか、術後の回復は思わしくなく,結局2週間の入院生活を送ってしまった。そのとき私は決心した。(次兄のいる会社を抜け出してしまおう)と・・・・・。 その、人の迷惑など考えない行動が、末のよい結果にならないことは自明のことであるが,決行は1月31日。密かに荷物をまとめた私は会社を抜け出してタクシーに乗り、刷り師の師匠の家に荷物を置いて十日町に帰ってきた。 しずえちゃん がこの町に居ない事すでに分かっていた。それでもなお帰ってきたのは,かって彼女のいた理容店の近くで彼女を偲びたかったからに他ならない。私は近くの旅館に3日いて,2月3日、再度上京したのである。
師匠の家に着いてみると,私が会社を抜け出すときに忘れていた師匠の名刺によって,次兄は私の居場所を突き止めていた。たとえ焦っていたにもせよ,なんと迂闊なことだろう。ここで師匠と、「世間を知らない若い者を惑わせるな」と言う次兄とのあいだにひと悶着はあったが,結局刷り師の弟子となったのである。しかし「天罰覿面」という言葉は、このときの私のためにあった。 さて念願の浮世絵刷り師の徒弟として入門し,意気揚揚と見習をはじめた私に,思いがけない運命の陥穽が待っていた。 3月と言っても、火の気の無い東京の夜は寒かった。そこにもってきて、版画に使うドーサ引きの奉書紙に一定の湿り気を与えるため水を引いて毛布をかむせてある。仕事場の隣の四畳の私の部屋は湿気にあふれていた。 2週間入院した虫垂炎の手術の後は、ただでさえ予後が悪かったのでいつまでも痛んだ。体力が極度に落ちていたところにもってきて,会社と次兄と,師匠には家族の了解は取ってあると、欺いた心労が一変に襲いかかったのである。 ある朝,目覚めると,絞るような寝汗とともに,40度近い高熱に頭を上げることができなかった。結局、1週間寝込む羽目になった私に、当然ながら師匠は冷たかった。 「いったん家に帰って出なおしてこい」 私は深くうなだれて、頷くのみであった。
こうして私は,身から出たさびとはいえ,2週間前に見捨てたはずの家郷に帰らざるを得なかった。 思えば,何のための東京生活であったのだろう。それもこれも,画家になるために上京した初心を忘れたために他ならない。 失望と,絶望と、自分の卑小さに打ちひしがれて帰ってきた私の目の前に, しずえちゃんは1年間の理容学校を終え,再びインターンの残りをなすべく、帰ってきていた。 その姿はすべてに打ちひしがれた私の目に,より美しく,自信にあふれて見え,精神的にさらに遠のいた存在となったのである。私は激しい劣等感に陥らざるを得なかった。まずなによりも、人間としての常識と、地道に、一つ一つ物事を成す努力を学ばなければならない私であった。 |
|
| 序の章 |
 |
祭囃子 ー昭和38年ー 十日町で
街角の たそがれるとき 遠く行く 祭りの囃子 見返れば 君も過ぎ行き 影と揺る ひそかな想い |
ー昭和39年ー 東京で
離れ来て 風のたよりに 何処(いずく)にか 君去り行くと 都の宵の 祭りの囃子 笛太鼓 ああ・・うつろに遠い
| |
 |
|
秋の夜 (東京オリンピックで賑わうさなかに) ー昭和39年10月ー |
交差するヘッドライト またネオン 想い出あやなす 秋の夜です
吉田町 君住む町と風はいうけど 想像の縁(よすが)も無いのだ 知らない町は
心とともに髪乱す 夜更けの風は なぜ寒い 君住むかたから来るというのに
| |
ここは両国橋 たたずんでみる隅田川 川面(かわも)に映るネオンの光 果てなく続き
ああ・・続き果てない 君への想い出 あまりにも少なすぎるを 珠と磨いて・・・・
| |
 |
ぼたん雪 ー昭和40年2月1日ー ぼたん雪 宿の羽織に積もる夜 顔伏せて 私はさ迷う この町は 私の故郷 知り人が 多すぎる町
世を忍び 帰ってきたのは 君への恋の はかない夢に この身を埋め せめての温(ぬく)み 友として 旅立ちたいと・・・ |
羽織乾し 湯気の向こうに 揺らめく面影 薄れ薄れて 逢えぬこと 知りつつたずねて うろうと さ迷う心よ
ぼたん雪 重く冷たくいよいよ深く 恋に似て 心のうち外埋め尽くす ああ・・・ 重たい荷物をより重くして 明日はまた 旅にたつのだ
| |
 |
帰ってきました私 ー昭和40年4月28日ー 帰ってきました私 あなたも帰っていたのですね
いろんな夢を追いかけて 破れて疲れて負けました
あなたは自然な努力のもとに 一歩一歩を進んだのですね
私の無理はひとを傷つけ自分を痛め 得たのはため息そして絶望 |
しずえちゃん あなたに習って 確実に見極めながら進んで行けば
やがてはあなたに近づけますか それだけあなたは遠のきますか
逢えたのに前よりずっと 遠いあなたになっていました | |
 |
| |
カラス −昭和40年7月ー
| カラス |
|
追いつくことない夕日追い |
| 赤々と |
|
染まる世界に黒一点 |
| 鳴く声 |
|
ひびく |
|
|
|
| 太陽に |
|
向かって飛ぶ鳥 |
| カラス |
|
君だけと聞く |
| カラス |
|
僕も同じだ |
|
|
|
| 夜の闇 |
|
カラスも融けて |
| 安息の |
|
眠りむすぶと |
| 誰しも |
|
思っているのでしょうか | |
| 夢にも |
|
結べぬ安息に |
| 明日に |
|
飛びたつ毛を繕(つくろい)つ |
| 転々と |
|
反側(はんそく)夜なくカラス |
|
|
|
| ああー |
|
カラス |
| ああー |
|
カラス |
| その心 |
|
僕は知ってる | |
|
| |
 |
|
雪の朝 (理容店の急な休みを失念した日) ー昭和41年1月25日ー |
| 「おはよう」 |
とたった一言 |
| 言いたくて |
毎朝通る |
| 「おはよう」 |
とたった一言 |
返されたくて
|
幾度も行き来す
|
|
あなたの店は |
カーテンを閉め |
|
ガラスに凍てる |
六華の光 |
|
|
|
|
|
|
|
|
この足跡の |
未練の数は・・・・ |
|
この吸殻の
|
未練の数は・・・・
|
| ああ・・今は |
帰る時間だ |
| 恋深さだけ |
積もる粉雪 |
| この吸殻は |
隠しておくれ |
| この足跡も |
・・・・・・・・ | | |
 |
昭和40年5月2日, 職業安定所を通して某織物会社のデザイン室(当時は意匠部)に入社した。 当時の十日町は織物の最盛期で、私の入社した会社は町で2番目の規模,従業員数960数名で3分の2が若い女性という環境であった。 もちろん,しずえちゃん一辺倒の私に,ほかの女性が目に入るわけもなく、その理容院から500メートルほど離れた、会社の独身寮に住めるだけで幸せで幸せに浸ったものである。 私は体力の回復を図るためもあって,毎朝5時に起床すると,町の中を一巡し、会社に入る7時30分前に理容院の前に差し掛かることにした。その時間は,しずえちゃんがちょうど理容院のカーテンをあけ、店の掃除をはじめる時間でもあった。 何の事はない。敬虔なクリスチャンが、毎朝マリア様に礼拝するような形である。 青春と言う年相応に,肉欲も普通にありながら,しずいちゃんの前に立つことで清められるそれは,すでに恋から変質して,一種の信仰に近いものになっていたのである。 女性にとって、恋愛の対象で無くなることがどれほど失礼なことかなど,若い私は考えても見なかった。
就職はしたものの,そのころはまだ東京から帰ってきてそのデザイン室に入ったものがいないという、行為そのものが珍しい時期なので,田舎者の通弊で,最初はなかなか受け入れてもらえなかった。むしろ、無視され。排斥されたといっても過言ではない。 私と同年のものはほとんど中卒で入社したものばかりなので,私とは2年のブランクがあり,すでに「着物」という形とデザインを知悉している点で,その方面に初心の私とは雲泥の開きがあった。 私の負けじ魂に火がついたのはもちろんである。必死になって友の技を盗み,至らぬ技術は夜も寝ないで研鑚した。 やがて私の存在も違和感なく友となじみ,青春と言うものを満喫することとなった。 朝は20キロのジョギング。夜は7人の仲間と組んだバンドでマンドリンを担当した。なぜマンドリンだったかと言うと,最初はギターを選んだのだけれど,私の指はその不器用さをあらわすように、他人より確実に1センチ短かったせいである。 また、水曜と土曜の夜は剣道の稽古に通った。これは6年間通ったけれど,思うところがあり,1度も昇段試験に行かなかったので,実力のほどは分からない。ただ、2段の者と合いの勝負ではあった。 朝夕200回の竹刀の素振りと,ジョギングと剣道は,会社の寮の食事ではいささか栄養不良気味であったが,私の体力は向上し,9年間の会社生活を通して無遅刻無欠勤を通したのである。 しかしながら会社は最初私を認めようとしなかった。給料、賞与が友より少ないのは,途中入社である以上仕方ないが、3年間本採用にしてもらえなかった。私は実力で見返すしかないと思い、よりいっそう技術の研鑚に拍車をかけたものである。。 やがて、私のデザインしたものが,求評会と言う、産地全体で年に1度、全国の問屋を集める会で,毎年金賞を独占するようになった時、初めて私を見直したのである。 それからは,給料、賞与の考査ランクを特別に私のために,「特Aクラス」というランクを設定し,長スピードで昇給させてくれたけれど,長年にわたって開いた差は大きく,会社を辞めるころになって,ようやく友の水準に追いついたのであった。 そのころの少ない給料は、すべて本の代金と,理容店の支払いに消えたものである。
昭和41年秋のある日書店で偶然手にした本、それが『禅ー現代に生きるもの』紀野一義著、NHKブックス版。であった。 それまで祖母の迷信交じりのそれを見て、宗教と言うものに反発していた私にとってその内容は理解しがたい本であったが何かが私を捕らえ,魅入られた様に私はその本に熱中した。これが私の後半生を変えた紀野先生との出会いであった。 読書好きの私はその当時5百冊近くの本を持っていたが、それから3〜4年というもの、それらの本はほとんど開かれることもなく、紀野先生の本に明け暮れた。 しかし、その当時の私は知らなかった。仏教というのは、本を読み、無駄な知識を得ることではないということを、そして、その方面での頭でっかちな知識が、いかに本当の仏教から遠ざかるものであるかということを。そのことを私は後にて痛い体験として、嫌というほど味わせられることになる。 | |
 |
|
|
風が吹くから こんなに多くの木蓮の 花が散る
|
|
風が吹くから 臙脂の花びら 心の中にとどまらぬ
|
|
|
|
風が吹くから 花が散るから 人恋う心やすらまぬ
|
|
|
|
|
あなたに逢いに 帰ってきた日も 花が散ってた 春だった |
| |
 |
灯(ともしび) −昭和41年5月ー この丘は諏訪社の丘です あなたの店が遠く見えます 灯(ともしび)がもう入ったのですね
時々ここに来るのです あなたとこことの距離の長さが そのまま二人の隔てです
|
|
この青ずんだ石垣のよう 苔むすまでに近づけますか あなたの心の世界に私が・・・
あなたのつけた灯(ともしび)が私を包むが 同時に遠い目標が はかない思いに私を落とす
| |
 |
一月二日 ー昭和43年1月2日ー あなたは今日で 二十歳(はたち)になった あとひとつきで 私もなるけど この恋の 運命(さだめ)にもにて 歳さえも とどくことない |
|
|
青人式の着物は私がデザインしたものである。 無断掲載ゆえにモザイク処理しました |
| |
 |
| 惜別の譜 |
昭和43年9月3日祖母竹内イトは亡くなった。(その経緯は偶感,雑感,独り言ページ参照。) 同年10月15日夜,しずえちゃんは故郷の吉田町に帰って理容院を開くことを私に告げた。 私は一言も言葉に出して「好き」と告げたことは無かったが,言わず語らずに通じていたことは当然である。 彼女は1人っ子であり。私もまた,4男ながら家を継ぐ羽目になった事情などどうでもよく,何より彼女は私にとって恋愛の対象ではなく,そのときはもう信仰の対象となっていたのである。
その夜彼女の後輩3人と,店の主人は奥に入って,私としずえちゃんだけにしてくれたのであるが,私は、 「そうですか・・・今までありがとう」 と言う言葉しか出なかった。 深い静寂と不思議な安らぎ,終わったのだなと私は思い、なぜかあふれる微笑みを、2人同時に交わした片恋い6年の夜であった。 わずか2ヶ月の間に、祖母としずえちゃんと,死別、生別と形は違っても、人生で何より大切な人を2人とも失った秋。 店の外に出ると,煙るような霧雨がスズラン灯(スズランの形をした街灯)を濡らしていた。
昭和43年11月17日 しずえちゃんは吉田町のふるさとへ帰っていった。 その日は,朝から昼過ぎころまで、初雪の降る薄暗い天候であった。 しずえちゃんからは,前もってこの日に去るという事を教えられていたが,私はあえて見送りには行かなかった。 会社の独身寮の窓を開け、寝転びながら,葉をみんな落とした柿の木の,わずかに残った柿の実の、目に染みるような赤い色をいつまでも見つめていた。
しずえちゃんとの関係は、恋から始まり、ついには精神的な憧れ,宗教性にまで高められた。 今にして思うとき,実際のしずえちゃんが,それほど高い精神を持っているはずもなく、普通の少女であったろう。 それを理想化し,崇めるという行為は,ダンテのベアトりーチェを引き合いに出すまでもなく,洋の東西を問わず、男のもつマドンナ願望であると思う。しかし、その願望こそまた、青春期の男をして,自らを高める上で,大きな原動力となったのである。私もまた,その例外ではなかった。 | |
 |
その終わりの日 ー昭和43年10月15日ー ーーああ あなたに会えて こんなにも 生をよろこぶ 愛ゆえに 迷い乱れた青春だったが 愛ゆえに 乱れのゆえに悔いは残らぬ
悲しみ深く 涙涸れ 嘆きは深く ため息忘れ あなたなしには語れない 私となるとき あなたは 私の命と燃えて 炎よりも闇よりも 透き通らせる私のすべて
ーー運命(さだめ)なら とうに知ってた 二度と逢えない あなたとなっても それでいい それでいい 寂しさあまる 心の静けさ 初恋六年 その終わりの日
|
ーーいい女性(ひと)を もらってください 私の髪を梳りつつ たった一言あなたが言えば 私はあなたを じっと見つめて 終末にあふれる微笑 あなたに贈る
| |
 |
| スズラン灯は |
|
|
君のさっきの |
| 言葉を聞いた |
|
|
私です |
| 明るみながらも |
|
|
濡れているのは |
| 気のせいでしょうか |
|
|
雨降る夜の |
| 想いも何も |
|
|
かじかむような | |
|
| 晩秋の雨 |
|
|
夜霧さえ出て |
| 午後9時半を |
|
|
告げるチャイムも |
| さようなら |
|
|
言ってるようです |
| 今ここに |
|
|
終わったのですね
| | |
 |
|
柿を見る −昭和43年11月17日ー 柿を見る たそがれの 薄明かりの中 葉をみな落とした 柿を見る ・・・・・・・・・・・・ 君の去った日
|
|
 |
出会うべくして 出会ったように 別れるべくして 別れがあった 六年の あがきの日々は この降る雪に 埋めてしまおう
君との日々で 生まれた私 母の願いを 引き継ぐ子のよう 淋しさに 想い切なく乱れるときは 思い出したい 君との日々の素直さを |
これから出会う 一人一人の命の中に 君の命を 見つけ敬い生きて行けたら もう私 何もいらない そのために まだまだ深める自己への嘆き
雪が降る すべてを白く清めるように 人想う私の想い かくあれと教えるように 雪が降る 過去は埋めて暖め忘れ あすの日は 今日より白い私であれと | |
 |
この暖かさ −昭和43年11月17日ー
| あなたのいのちは |
|
|
ひとひらのゆき |
| わたしのいのちも |
|
|
ひとひらのゆき |
| あなたのいのちに |
|
|
つつまれそだち |
| あなたのいのちに |
|
|
うもれたわたし | |
| やがてはあなたも |
|
|
わたしもなくて |
| それでもかすかに |
|
|
きえゆくいたみ |
| きえさりのこった |
|
|
このあたたかさ | | |
 |
あの日 初雪が降っていた 黄昏(たそがれ)時には 融けはじめ 屋根から落ちる 雫(しずく)の音を 時きざむ 音と聞いてた いつか来る 別れの運命(さだめ)知っていたから 別に悲しみ なかったけれど あの年ほど しみじみと秋の終わりが はかなく 身にしみた年もなかった
去る日と あなたに教えられつつ 見送りに 行かない私を あなたは何と 思ったか知らん でも たった一人部屋の窓開け 葉をみな落とした 真っ赤な柿と 同時に同時に 私は見ていた まっすぐに深深と 雪の足跡 北へ北へと 去って行くのを |
もう一年が 過ぎたのですね 一日として よりよい私を生きたいと 願わない日が なかったゆえに すなおに生きたい 祈りのゆえに あなたを 忘れたことはなかった
現身(うつしみ)の あなたはいかに変わろうと 現身の あなたは何処(いずこ)に住まわれようと 私の中に住むあなた あなたこそ 私がいつも帰るべき ふるさと教える 私がいつも目指すべき あすを教える | |
 |
あなたに照らされ ー昭和44年2月1日ー おぼろ月 おぼろなゆえに 空のすべてが 月となる 面影おぼろ おほろなゆえに 私のすべてに あなたは住んでる
雪明りの中 粉雪舞って 道は隠れて どこにも見えぬ 右手に暗く 窪むのは川 左手小高く にじむは林 |
宿とする 家は見えない 憩うべき たばこも湿り 背の汗は 冷たく伝い 足先は かじかみ痛む
むくわれぬ 愛と知るゆえ 私の中の あなたに照らされ 歩いたところを そのまま道とし 心の世界に わけいる旅人
| |
 |
| 西蒲原吟行 |
しずえちゃんが去り,ぽっかりとあいた私の心の空洞は、思った以上に大きかった。 その空洞に入りこんできた1人の女性。その女性の名前を、かりに咲子さんとしておこう。容貌は(しずえちゃん)とくらぶべくもなかったが,恐ろしく気端のきく女性であった。私より1歳下で,しずえちゃんの去ったこの年に入社し,当時,中振袖のザインを担当していた私の下に配属された。 ちなみに,しずいちゃんの故郷は、西蒲原郡吉田町。咲子さんの出身地は北蒲原郡安田町。郡名こそ似ているが,両町の距離は40キロほど離れている。
改めて何度も言うが,しずえちゃんとのそれは恋ではなかった。咲子さんの場合ははっきりと恋である。恋いと言うものに付き物の,ドロドロとした愛憎は,私にとってはじめての,激しい試練を私に与え,同時に,私の宗教を深くした。 私はしずえちゃんが故郷に帰っていった時点で、しずえちゃんとの事は終わったと思っていた。しかし、運命というものは、まだまだそんなことでは私を解放してくれなかったのである。まったく思いかけない方向から、私を捕らえ、翻弄し、それによってより一層しずえちゃんの存在を私の中に深めさせたのであった。 | |
 |
夜深く 東三条遠く離れて 弥彦の山並み 見えないせいか それとも 何かのはからいなのか 迷い道 どこに続くの?
心も凍る 雪と風 人にも逢わず 灯も消えて その昔 君に学んだ 歩いたところを 道とするのか
|
思えば 君との八年間も こうして 歩いてきたようだ 私の中に 君はいたのに 尋ねて 歩いてきたようだ
迷ったと 思うことさえ迷いであったか ひたすらに 歩いて歩いて歩いて行けば 君の命は夜と広がり 天地に満ちて 私を包む どこに行こうと | |
 |
寄る辺求めて (別れて半年初めてあなたの故郷尋ねて) ー昭和44年5月15日ー
| ここなのか |
|
君住む町は |
| 七年前から |
|
君恋うたびに |
| いつの日か |
|
必ず来たいと思っていた町 |
| 心を病んで |
|
訪ねようとはーー |
|
|
|
|
|
二度と逢えない君でも言いと |
|
|
あのとき確かに思っていたのに |
|
|
君が故郷に帰った後から |
|
|
私傷つく恋をしました |
|
|
|
|
|
君との時とはまるきり違う |
|
|
心が穢(けが)れ汚れる恋です |
|
|
愛するほどに透き通る |
|
|
君との昔に救いを求めてきたのです | |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 広すぎます |
|
新潟平野 |
| 広すぎます |
|
君の世界は |
| 小さな私は |
|
どこにも住めず |
| ふらふらと |
|
寄る辺求めてさまよっている | | |
 |
|
金色のはさ木の稲の ー昭和45年9月12日ー 金色のはさ木のいねの 照り返すあなたの店は 越後平野の真ん中の 赤い小さな屋根の家です
白いレースのカーテンの 光をうけて白衣のあなた 椅子二つ鏡も二つ 「そのうち誰かとこの店で」と 問えば黙ってほほ笑むあなた
|
あなたは理容師私は客と 永久(とこしえ)に埋まることないこの空間は 今はもうほのぼのとして 何かしらとても大切なんです
日も傾いて残る暖かさ そろそろあなたの結婚の 話も動いているのでしょうね 兆しが見えたら私もうここに来ません それまでに確かに動かぬ私になります |
| |
 |
西蒲原吟行 ー昭和48年2月28日ー 冬枯れの 越後平野 厚い雲 雲と重なり 冷たい風が しきりに吹いて たった今 君ととのえた 髪乱しても 動かぬ心
あの人との 別れを知って ここに君を 訪ねてきたこと 誰が何と 謗(そし)るともいい あの人との 別れのゆえに 私は私を 確かめにきた
|
以前のように あふれ出る 再会喜び 言葉も消えて ただ行きずり の客となる 好きも嫌いも 通り抜け 来るべき心の 世界に今きた
ああー今こそ 過去への決別のとき 君もあの人も 神も仏も 侵しえない 私の世界を 悲しみも ほほえみもなく 天地宇宙に 歌い上ぐとき | |
 |
越後平野の風と冬枯れ 私の今までの青春なら めざし来た弥彦の山並み 初恋の‘しずえちゃん‘君の姿か
目標をそこに見ながら 足掛け9年の曲がった道は 行き戻り逸(そ)れもしたけど 今至り得た 至り得た今
喜びも悲しみもない ひたすら白い静かな世界 すべてのものがここから生まれ すべての帰結がここにある |
足元に昨日の私が歩き去り 見上げれば明日の私が行くのが見える たばこを一本取り出して 私は深く深く味わう
しずえちゃん 「ありがとう」終わりました 終止符を今刻みます ・・・・・・・・・・(・)・・・・・・・・
| |
 |
| その後 |
聞く気はなくても噂というものは入ってくる。 しずえちゃんが警察官と結婚したこと。ご主人と県内を転々赴任していること。女の子2人,男の子1人の母になったこと。やがては,すぐ近くの,比較的大きな市に家を建て,幸せな日々であること等、等、等。 知ったところで今の私には関係ないことである。不幸であればともかく,幸せでおられるならば・・・・。 ただ男と言うものは馬鹿なものである。しずえちゃんは一人娘でお婿さんをもらったと言う関係から、姓は変わらなかった。 フルネームが変わらない。ただそれだけで何やらうれしいものである。たとえそれがすでに燃え尽き、終わった恋であったとしても、、、。
私にとって,前項の詩「終止符」でしずえちゃんとの事はすべて燃え尽き、それ以後に聞くしずえちゃんの名前は,僅かな感傷を誘うだけの存在となった。 しかし運命というものは面白い。 30年以上たって,あれほど青春の憧れで,胸躍らせて何度か訪問した゛しずえちゃん゛の象徴であった吉田町に,仕事の上でのお得意様ができ,2〜3ヶ月に一度は訪問することとなった。 そのときはじめて゛しずえちゃん゛の家の前を通ったときは,ここがあの場所だったのかと思われるほど、新潟平野の面影もなく家が密集し、かっての彼女の店は税理士さんの事務所になっていた。 それから何年か後,しずえちゃんのお父上の表札が出ていて,ごく普通の住宅となっていた。そう,世はまさに変遷する。 私に青春と言う輝きを残した、理容師であった゛しずえちゃん゛はすでに何処にもいないのである。
私は別に探そうなどと言う気がなかったので、永い間しずえちゃんの消息を知らなかった。 最後に吉田町の彼女の店に立ち寄ってから30年近くして、最初にこの詩集をまとめていて、「ああ、彼女はどこに行ったのだろう」と、懐旧の念に駆られたものである。いつしか足も遠のいて、昔彼女のつとめていた理容院に行くこともなくなっていたのである。また、たとえ行ったところで、そんな詮索はしたくもなかった。そして詩集をまとめてしばらくしたある日、私は所用があって郵便局にいた。私の前には一人の女性がいて、封書を何通か差し出している。私は順番を待ちながら、何気なくその封書の一番上の上書きを見て目を疑ったのである。
・・市・・町・・番地 ・・しずえ様
私はその女性の顔を見た。見たことはあるようだけれどどうしても思い出せない。私は自分の用が済むと、郵便局を出かかっていた女性に聞いた。 「失礼ですが、前にお会いしたことがあるようですが、どなたでしたか」 女性は始めポカンとした表情で私を見ていたが、急に笑い出した。 「竹内さんは私の先輩のしずえちゃんがいた店に日参していたではありませんか」 私は唖然とした。そう言えばこの女性の顔はあのときの、私は非礼を詫びざるを得なかった。 「竹内さんはしずえちゃんしか見ていなかったから・・・」と笑って許してもらえたが、実に赤面の至りであった。 その女性は私の隣の町内で理容院を開いていて、お盆休みにかっての理容院仲間と集会したので、そのとき写した記念写真を郵送しにきたのだと言う。
こうしてひょんなことで「しずえちゃん」の最近の消息を知り、住所も知ったけれど、それはただそれだけのことで、知ったからと言ってどうしたものでもない。もちろん私に教えてくれた近くにあるというその女性の理容院にも行ったことがない。 私にとって不思議なのは、「しずえちゃん、しずえちゃん」と、その追憶を書き連ねた詩集をまとめた直後に、彼女の消息が思いがけなく知れたことであった。これはいったい何の計らいなのだろう。私は思ったけれど、少なくとも彼女が幸せでいてくれることは1つの安心ではあった。 | |
 |
SOUDESUKA YOKATTADESUNE ー年月日失念ー ーーしずえちゃん 結婚しました ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ーーしずえちゃん 女の子二人目です
あなたが以前いた店の 主人が私に言いました 別に聞く気もないのですけど そのたびに
|
ーー SOUDESUKA YOKATTADESUNE
それしか言えない私です その青春の九年間
激しくまばゆく交差した
その一点しかなかった二人
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一人になってもう一度くりかえします ーーソウデスカ ヨカッタデスネ・・・と | |
 |
変わったのですね (仕事の帰りしずえちゃんの家の前を過ぎて) ー平成5年7月29日ー 赤い小さな屋根の家には ネズ色の瓦が乗って 白いレースのカーテンは くすんだ色の模様となった
広かった越後平野も 建て込んでこんなに狭く 稲穂もはさ木も昔語りか 目標だった弥彦の山は 頂のみがビルの上から・・・・ |
゛しずえちゃん゛ 月日がすべてに及ぶのですね 私が変わったそれ以上 吉田町変わったのですね
あなたの店は古びはて 見知らぬ看板色さびさびと 噂はあえて求めません 分からぬことの感傷も ああ・・・それもまたいいものです | |
 |
|